首肩専門の日下部式整体で根本改善へ

院長
日下部 直人
Naoto Kusakabe
資格
按摩マッサージ指圧師
ヨガインストラクターRYT200
ファスティングマイスター
ホームヘルパー2級
プロフィール
西戸山小学校卒業
青山学院中等部卒業
青山学院高等部卒業
青山学院大学卒業
長生学園卒業
「すぐらく堂整体院」には、遠方からはるばる施術を受けにやってくるお客様も多い。
そして多くのお客様が、「駅から近いのにとても静かで落ち着きますね」と言ってくれる。
日下部も嬉しそうに笑う。
「そうなんですよ!私もこの場所が大好きなんです。」
施術を受けに来る患者さんは日々ストレスを抱えていて、自律神経を乱している方も多いので、少しでも落ち着く、癒される空間にこだわっている。
日下部は「患者さんの人生をゆたかにすること」を考え行動する。
この考えに至ったこの男の原点は、一体どこにあるのか。
幼少期

1975年。日下部は北九州黒崎市で生まれ育った。
家族は両親、そして姉と妹の5人家族。
小さい頃から人見知りが激しく、引っ込み思案な子供だった。
なので友達が出来るまで、ものすごく相手を観察し、どんな人かを知るまでは心を開けない、そんな子供だった。

身体を動かすのは好きで、中学は卓球部、高校は剣道部で体力、忍耐力はついたが、人とのコミュニケーションはずっと苦手なまま過ごしてきた。
26歳での出来事

物造りも好きだった日下部は機械工学科を卒業し、設計会社に入社。
設計の仕事はやりがいもあり、充実した日々を送っていた。
そんな日下部に26歳で大きな出来事が起こる。
仕事にやりがいは感じていたが、残業が多く、納期が迫れば職場に泊まるのは当たり前という当時の環境は気付かないうちに少しずつ身体を蝕んでいった。
勤めて3年経ったある冬の日、職場で残業していると、突然頭痛と激しい胸の痛みが日下部を襲った。
「20代で過労死」という言葉が一瞬頭に浮かんだと日下部は語る。
幸い命に別状は無かったが、医者に言われたのは
「検査したけど特に異常はありません。良かったですね。」
という言葉だった。
こんなに苦しいのに異常がないはずはないし、
原因が分からないのになにが「良かった」なんだ!と憤りを感じたという。
その後も頭痛と胸の苦しさはあり、いつまた発作的に大きな波が来るかもしれないと怯えながらいくつもの病院を渡り歩くが、結果はどこも同じだった。
整体との出会い
そんな中、知人の紹介でとある整体院を紹介される。
散々病院を渡り歩いて今更民間療法か…
当時は半ば諦めの心境で整体院を訪ねた。
そこは普通のマンションの一室。
ドアに看板が貼ってあるだけのシンプルな外観だった。
だがドアを開けるとそこは全く別の世界。
香、香、調光、全てが「人を癒す」ために考え抜かれた空間だった。
先生は、これまでにつらかったことを親身に聴いてくれた。
そして一言、「大丈夫!必ずよくなるから!」
「今でも覚えています。本当に心から救われた瞬間でした。」
と日下部は当時を語る。
「でも本当に驚いたのはその後でした。
治療を続けているうちに症状は全て無くなってしまいました。
長い間苦しめられていた頭痛や胸の痛みが無くなり、本当に魔法のようでした。」
薬や手術など無しにこんなに楽になる素晴らしい技術があるんだという事に感動したのと同時に、一時は命の危険も感じた日下部が思ったのは
「一度きりの人生だったら自分が感動した事に全力を注ぎたい!」
という事だった。
すぐらく堂整体院開業
その後間もなくして設計会社を退社。
3年間の勉強を経て按摩マッサージ指圧師の国家資格を取り、整骨院、訪問マッサージ、整体院の現場を10年経験し、
2015年、大久保で『すぐらく堂整体院』を開業した。
期待と自信に溢れ2012年9月21日オープン!!
オープンと同時に患者数が増え、多くの方が日下部の施術に感動して・・・
そして現在に至る・・・
とは、残念ながらならなかった。。。
その時のことを、日下部はこう話す。
「いやもう、最初の2年間はつらかったですね。今はよくわかるのですが、技術に自信がある治療家ほど『開業すれば患者数は自然と増える』って思っちゃうんですよね。」
「でも、そもそもわたしの存在を知らないんだから誰も来ない。」
来てくれれば、よさを知ってもらえて口コミしてくれる。そう思っていた。
しかし、来ない。
さすがに3ヶ月が過ぎると不安を覚えるようになってきた。
いつまでも貯金だけで暮らしていくわけにもいかず、資金面でもこのままではまずい。
いろんな思いと焦り、家族への申し訳ない気持ちなどが頭の中でグルグルと渦巻いた。
「なんでだ・・・」
焦りと不安だけが時間を奪うことになる。
そんなある日、以前同じ整骨院で勤めていた同僚が、3店舗目を開業したという投稿をFacebookで偶然見かけた。
いてもたってもいられなかった日下部はすぐのその先生に連絡を取った。
その1つの行動が日下部の今後の人生を変えることになるとは、この時、知るよしもなかった。
そしてその同僚から
『「マーケティング」をキチンと成果を出している人から学ぶこと』
の大切さを教わる。
「当時は技術があれば大丈夫という根拠のない自信があって、マーケティングは本で読む程度だったんです。悪い意味での職人気質だったんですね。勤めている時はそれで通じても独立したらそうはいきませんでした。
同僚には本当に感謝しています。」
患者さんは「家族」
日下部はマーケティングを教えてもらうと、猛烈な勢いでチラシをまいた。
「毎日、自転車で21時~1時ぐらいまで。配りまくりましたね。」
その効果は、幸いにもすぐに現れた。
思いを込めたチラシを見てくれた方が予約を入れてくれるようになり、患者数が増えていったのだ。
と同時に、唯一無二の「クサカベ式整体法」を確立。
それから先の、すぐらく堂整体院の繁盛ぶりは、わざわざ記すまでもないだろう。
あれから5年・・・
「患者さんはね、家族なんですよ。」と日下部は言う。
「患者さんが上とか、わたしが上とか関係なく、1対1の人として向き合っています。まあ、言いたいこと言ってますけどね(笑)。楽しみにして施術を受けに来てくれるし、わたしも楽しい。本当に素晴らしい方たちに恵まれて幸せ者です。」
「これからも、恩返しをしていきたいですね。わたしができる恩返しは、健康な体を維持してもらうこと。だけではなく、その人の人生をゆたかにすることであり、一番、患者さんに必要なことだと思います。」
「わたしは新宿で育ち、お世話になってきました。その分・・というわけではありませんが、地域貢献して患者さんの人生を、ずーっとサポートしたいと思っています。」
患者さんは「家族」という日下部。
隣には本当の家族、仕事を手伝ってくれるやさしい奥さんがいる。
家族のために仕事に燃え、毎日頑張っている一方で、「家族」という患者さんたちの人生を診てサポートすることを生業としている。
「改めて考えてみれば 、わたしは家庭でも仕事場でも「家族」に囲まれているんだなとつくづく思う。そして、それがとても幸せなことだと日々かみしめています。」
今日も痛みで悩んでいる新しい患者さんが、すぐらく堂整体院の扉を開く。
それを日下部が、最高の笑顔で迎える。
患者さんは日下部を目の当たりにして、笑顔を返しながらも戸惑いを隠せない。
「今日からこの方との人生が始まるんだな」と、日下部はワクワクしている。
お電話ありがとうございます、
すぐらく堂整体院でございます。